長岡 啓太の顔写真

持ち前の話術と声量で、運動会を盛り上げます!

ディレクター

長岡 啓太

中日本支社

入社当初、配属先の東海支社は、まさに事務所が立ち上がる時でした。
机も椅子も何も無い状態からのスタートが逆に新鮮で、東京本社に負けない支社にしてやろうと思いましたね。
今では新人も入ってきて、東海地方盛り上がりはまだまだこれからですよ!皆様と一緒に!よーいどん!

My Story

1990年10月、兵庫県宝塚市でうまれる。
落ち着きが無く、ずっと走り回っていた子どもだったと母は言う。
幼稚園から小学4年生まで水泳。
その後小学6年生までは野球。
中学3年間ではバスケットボール部。
高校ではソフトボール部に所属し、青春時代をスポーツと共に歩んできた。

大学ではスポーツ以外に挑戦しようと、中学時代から我流で練習していたボイスパーカッションの技術を武器に、アカペラサークルに所属。
ここでライブの企画運営も経験し、イベントを作る楽しさと難しさを知る。

大学3回生、さぁ就職活動。
その頃の夢は、某テーマパークの社員、またはラジオパーソナリティ。
自分のキャラクターや話術でみんなを楽しませたいと思い、学生時代の学園祭では、司会や演劇の主役を自ら買ってでたこともあった。
また、アカペラのステージでもMCは付きものだった為、自信はある分野だった。

しかし、落ち着いた先は、大学時代に目覚めた趣味、ラーメン巡りから興味を持った食品業界でした。
業界最大手、食品専門商社に就職し、営業として名古屋勤務となる。

そこから1年半後、入社前の理想と現実に違和感を抱き退職を考える。

その頃、知り合いの紹介でとある経営者の方にその違和感を相談し、理想の環境を自分で創ってみようと、個人事業主として起業。

そこから2年。
事業はなかなかうまくいかず。
一度方向転換に事業をたたむことに。

知り合いが人事をしているということで、営業代行事業のベンチャー企業に拾ってもらい、大阪勤務となる。

訪問営業の仕事で、出来高が給料に反映されることもあり、社員のほぼ全員が成績の為に切磋琢磨する環境を体験し、大手企業よりも、こうしたベンチャー気質ある企業の方が好きだなと気づき、精進する日々を送る。

そして2年後。またまた名古屋に戻ることとなる。
その頃28歳。
将来の事も考え始め、長く続けられる仕事をと転職活動。

そこで、出会ったのが「株式会社運動会屋」。

スポーツイベントを運営するベンチャー企業。
運動会の司会進行を務めることもある。

ふむふむ、私はスポーツにアカペラ、すなわちイベント運営を経験し、その楽しさを体感してきた。
さらに人前で喋ることを夢に見た過去もある。
営業経験も活かすことが出来そうだ。

自分にぴったりの仕事、ついに見つけた!

と、履歴書を送り、今に至るのである。