STAFF
スタッフ紹介
『ラーメン、つけ麺、ぼくナイスガイ』
セールスマネージャー
栗田 宰年
- 東京本社
My Story
【中学時代】
この3年間で今の私の大半は構築された。
サッカー部主将の一面と素行の悪いメンバーにも顔が効く一面、先生方に媚びへつらう一面など使い分け、多重人格野郎が完成。
多感なこの時期に思いつく限りの悪戯を執行。
(運動会屋に活かす学んだスキル:社交性・企画力・アイディア・発想力・分別)
【高校時代】
サッカーに打ち込むが恋愛は奥手。
中学時代の濃さから、高校で得たものはない。エピソードもない。特記事項なし。
(運動会屋に活かす学んだスキル:ピュアハート)
【大学時代】
特に憧れや恩師と呼ばれるものと出会ったわけではないが、人が好きで人に影響を与えることに魅力を感じ、教員の道を目指すため大阪体育大学に入学、実家から中型二輪で通学。
力を入れたことは、練習日程も程よく、バイトも遊びもしつつ、全国の頂点を目指すことができるフリスビーを使ったニュースポーツ、アルティメット。
上級生が抜けた3年生からのめり込み、2年連続インターハイで2位。
3年生の時にはベスト7にも選出された。ただ、個人賞よりもチームの成績に価値を感じる。
(運動会屋に活かす学んだスキル:チームワーク・ギャンブルのおもしろさ)
【講師時代(23,24歳)】
大学卒業後の2年間は、地元・堺市で常勤講師として中学校での保健体育を1年、特別支援学級で1年勤務。
特別支援学級では筋ジストロフィーの生徒の介助及び、普通学級に入ることのできない生徒のケア、サポートを行う。
人の人格形成に関わるという責任感と同時に、教育の奥深さを感じる。
常に見本となる大人を意識しながら過ごすことに充実感を持っていた。
(運動会屋に活かす学んだスキル:教育力)
【青年海外協力隊(25~27歳)】
将来経験豊富な教師となるため、志望。
この時も背中を押してくれたのは親だった。親は偉大だ。
好きなことをさせてもらった親に感謝しかない。
脱線したが、私は東アフリカ・タンザニアにて2年間生活を全うする。
スワヒリ語しか通じない環境の中、サッカーでコミュニティを増やしていき、キャラクターを知ってもらい、人間関係を構築した。
電気、水が不安定な環境で、時間に縛られずのんびり過ごす現地での暮らし。
日本で起こることは大したことないな、という感覚になってしまうほどのスケールの大きさ、世界の広さを知る。
結果、日本での生活で怖いものはなくなり、トラブルの大小・人の役職などにとらわれず、常にマイペースな自分であり続けることができるのは、この2年間が大きく起因しているためである。
(運動会屋に活かす学んだスキル:親への感謝・スポーツの素晴らしさ・度胸・忍耐力)
【大学職員(27~29歳)】
帰国後は視野が広がったことで、教員になる時期や拘りというものが薄れ、大学時代にお世話になった教授の誘いもあり、1年半は大学職員として広報の仕事に携わる。
主な内容は、学内部活動の試合に同行し、試合中はカメラマン、試合後は記者として監督選手にインタビューし、HPや学内に掲示用の記事を書くという業務であった。
元読売新聞記者の教授の教えを請い、原稿の書き方や文章の構成など、勉強になることも多かった。完全に未知の仕事内容であるが、共通点はスポーツであった。
(運動会屋に活かす学んだスキル:視野の広さ・文章力・傾聴力)
【運動会屋(JSC)29歳~】
スポーツに携わる人生を送ってきた私が、スポーツを通じて自分のカラーを発揮し、その行動がより良い社会づくりに貢献できるこの仕事に魅力を感じ、入社を決意。
今までのすべての経験が今の自分につながっており、その能力を最大限に発揮できることは天職であると感じる。
魅力ある人間でいつつ、魅力あるコンテンツをつくり続けていきたい。そんな集団が運動会屋であると胸を張って言えるよう、取り組み続けていきます。