嶋津 玲子の顔写真

タイからの逆輸入注目選手!

ディレクター

嶋津 玲子

東京本社

大学卒業後、生命保険会社にて営業を経験。
その後予てからの目標だったNZワーホリへ。
NZ生活を終え、日本に戻ると思いきや、思い付きでタイ移住を決断。日系現地法人企業での3年の修行を経てついに運動会屋へ。
モットーは「感謝とポジティブ!」

My Story

【私の人生で愛すべき3本柱】
《➀バスケ》
1990年9月1日15:45 山口県小郡で生を受けました。
元来、父親が福岡県北九州市出身、母親が山口県下関市出身だったため、大都会東京からは程遠い山口県に産まれたのであります。
とは言うものの、小郡での記憶は全くというほどなく、私の中の一番古い記憶は、次に移り住んだ岡山県岡山市。
岡山市では9歳まで育ち、そしてその後、私の故郷とも言える茨城県土浦市に移り住んだのであります。
今思えば、岡山市ではいわゆる「中流のお嬢様」をしておりました。
小学校はお受験をして、岡山大学付属小学校に入学。制服ではないものの、襟とスカートが必須な学校に、バスと路面電車を乗り継いで日々通っていました。
転機が訪れたのは小学校3年生の時。土浦市立土浦小学校に転校し、運命の出会いを果たすのです。
それが、今の私の70%を作り上げたと言っても過言ではない、バスケットボールでした。
バスケとはその後13年の付き合いとなります。
小学校で夢物語かと思われていた全国制覇を成し遂げ、文字では絶対に負けない記録を得ることで、自分を支える大きな自信となりました。

《➁テレビ》
バスケ最優先ではありましたが、それと同じくらい大好きだったのがテレビ。家にいる時ははずーーーっとテレビを見て過ごしました。
大学3年生になり、就職活動が始まった頃、自分は何が好きか?と自問自答し、答えはテレビでした。当初はずっと番組制作会社を受け続けていたものの、眠れない生活に耐えられる自信がなく、その時は諦めました。でもずっと心に引っかかるものがあり、28歳の時、1日でも1か月でもいいから、あの煌びやかな世界に一歩踏み入れたい、と思い、当時生活していた楽園タイ王国からの帰国を決意したのです。

《➂海外》
少し年月を戻り、バスケに完全燃焼した頃、次に興味が湧いたのは海外でした。
「世界で一番美しいものを見てみたい」という気持ちは今でも変わりません。
大学生の時1か月ニュージーランドにホームステイし、(そして大地震に遭遇したのですがそれはまた今度)、25歳で1年間ニュージーランドでワーキングホリデーをしました。
しかし、1年では自信になるほど、語学力を始め、海外で生活していたといえるほどの成長は得られず、再度海外で経験を積もうと思い、タイ法人の現地採用として、修行をすることに決めたのであります。