英 日明の顔写真

世界の体育倉庫の管理人として、運動会の安全を守ります!

スタッフ

英 日明

レンタル事業部
横浜支社

正義の味方仮面ライダーに憧れた少年時代から、現在は道具の管理、メンテナンスの面から、みなさんの安全をお守りします!
明るさと笑顔はチームNo.1!
人生相談、お金の相談は無理かもしれませんが、道具のことでお困りの方は、ぜひ、わたくしまで。
みなさんに寄り添ってお答えします!

My Story

幼い頃から遊ぶ事が大好きな男の子で、テレビゲームなどではなく外で鬼ごっこやドロケイ、ドッジボールなど身体を動かす遊びが大好きでした。

幼い頃から20歳までの夢は大好きな仮面ライダーになる事。

小中高は卓球に明け暮れ、高校は男子校へ推薦で入学。
高校時代が一番卓球に対して熱く、熱中していた時期。
キャプテンを任されそれなりに結果を残すも引退後、卓球を続ける選択はしなかった。

そんな中、顧問から
「卓球を続けない決断をしたならば、それに代わってお前が熱中できる事を見つけろ。」
この言葉が僕を大きく動かし、本気で夢を追いかけてみようと強く誓いました。

その日以来、僕は仮面ライダーになる為にどんな事をしたら良いかを日々勉強。
日本で有名な「全国のカッコイイ男の子が集まって日本一を決める某コンテスト」へ辿り着く。
そのコンテストで入賞してしまえば、俳優になって仮面ライダーに選ばれる確率がグッと上がる、そんなコンテストだった。

仮面ライダーになる際に必要なのは演技力やアクション。
武術に長けた先生や、体操が得意な親友に頼み込んで技を教わったりしていた。
演技は映画やドラマ、アニメなどを何十本、何百本と観て
「自分だったらこう演じる、ここはこう発声する」
そんな事を思いつつ作品を観ながら、その作品に入ったつもりで一人で演技をしていた。
だが、闇雲に応募したって仕方が無い。
何かしら自分に誇れる物を創り上げてから応募しようと顧問に相談した所
「学祭で投票制の学年を問わないミスターコンテストがある、自分の実力でグランプリを獲れたらそのコンテストに応募してみろ。」
それに賛成した僕は学祭のミスターコンテストへ応募。

学祭当日は日常、校内で目にする事が無い無数の女性の姿が…。
その光景に度肝を抜かれ不安にも駆られてんやわんや…。

周りの応募者も本当にカッコイイ男の子ばかりで勝ち目がないと思っていた。
そして発表の時…。

グランプリの名前を呼ばれたのは僕だった。
緊張で遂に頭がおかしくなったのかと思ったが、グランプリを獲ったのは間違いなく僕だった。

「おめでとう、お前ならやってくれると信じてた。」と顧問から素敵な言葉を頂いたと同時に頂いた物がもう一つ。

それは某コンテストの応募用紙だった。
その応募用紙は記入欄が見慣れた字で既に埋められていた。

「俺の推薦でお前をこのコンテストに応募するから、絶対仮面ライダーになれよ。」
「卓球以外でお前が熱くなれる事を見つけてくれて俺は嬉しいよ。」
それを聞いた時、涙が止まらなかった。

あれが嬉し涙なのか感涙なのかは未だに自分でも分からないが、今でもあの日の出来事をしっかりと覚えています。

だが、現実世界はそう上手く行かず…。
その年のコンテストは予選を突破するも入賞者にはなれず。

一旦飲食業に就職しつつ、次年度のコンテストを再度応募するもあと一息の所で入賞者にはなれず…。

そして、就職した飲食業もブラックで気が付けばバイト生活。
家系ラーメンの出汁を取り終えた豚骨を粉々に砕いて肥料にする珍しいエコバイトをしつつそれでも夢は確かに目の前に、もう一息の所まで近付いていたはずだった。

しかし、自分よりも年下のカッコイイ男の子がドンドンとコンテストに迫り、今まではしっかり通過できていた予選も辛勝するレベルまで熾烈を極めていた最中、砕いた豚骨粉が原因で肺炎を患う…。

もちろんコンテストも予選会場へ行く事ができず、途中棄権。

まだ応募できる年齢ではあるが、もうこの年齢で需要は無い…。(当時20歳)
若い世代に仮面ライダーの夢を託し、応援して下さった顧問や親友、その他大勢の方々への申し訳なさと自分への不甲斐なさ、憤りを覚え自暴自棄になった。

バイトへも行かず、ふらふらと外へ出ては時間を潰す毎日。
夢の為に貯金していたお金も底を突きそうになったある日電話が鳴り響く…。

電話に出るとバイト先に豚骨を運んでくれるトラックの運転手さんだった。
「お前はここで働いていたらダメになる、俺がいい場所を紹介してやる。」

そこで紹介されたのがこの運動会屋だった--。

業務内容を聞いても一回じゃ頭に入って来ない内容だった。
内容がややこしいとか難しいとかではなく、自分にとって内容がユニークかつ画期的過ぎたのだ。

企業様に「社内運動会」を「提供」する--。
まず最初に思ったのは「社内運動会なんて何時の時代の話だよ!?」
その次に「社内運動会って自分達でやるんじゃないのか!?」だった…。
考えても考えても埒が明かない、僕は一旦紹介を受けて面接を受けさせて頂いた。

丁度繁忙期の11月に面接の機会を設けて頂いたのだが面接場所が運動会屋の事務所だった。

そこは倉庫と一体になっている事務所で目を見張る光景が…。

そう、その倉庫には「無数の運動会用品」が並んでいたのだ!
興奮冷めやらぬまま面接へ…。

米司代表(運動会屋代表)との一騎打ちッッ…!!

思う存分自分をアピールし、無事内定を頂く。

所属部署はレンタル事業部 部長(武平良介くんとのダブル部長)
基本的にお客様へ運動会用品をレンタル、または販売する業務だ。

約3年携わって来た今。
夢は消えてしまったが、やりたい事と熱くなれる事を見つけた。

それは自社ブランドの運動会用品を製作する事。
熱くなれる事は、お客様からの声やレンタルチームの仲良しさ。

運動会用品を運送業者へ依頼してお客様の元に用品を送る為、あまりお客様とお顔を合わす事がないのですが、メールにて「面白い用品でした!」「みんなで楽しんで運動会ができました!」など…。
文面からでも伝わる言葉に熱くなる時があります。

用品を僕らが直接お届けに参るプランもあり、そこで
「英さんわざわざ遠い所からありがと!」「また来年も英さんでお願いします!」
と初めて言われた時はこみ上げてくる熱い物に我慢できず目頭を抑えたり…。

チームではいじられキャラと盛り上げ役に徹して常に場を和ませて、肩肘張らず、チームのみんなが楽しく伸び伸び自分のスキルを引き出せるようにフランクに接するよう心掛けています。
もちろんみんな仲良しこよしです!
お仕事中も集中しつつ、常に笑いの絶えない話が続いてる状態です。
(メリハリ付けるところはメリハリつけてます!!)

今思えば、部活に明け暮れた時代、夢を追いかけ回した時代や運動会屋に入るまで、そして今現在。
沢山の方々の支えがあり、ここまで歩んで来れました。

僕と関わって下さった全ての方々とこの業務が今の自分を創り、自分の一部となっております。

これからはリーダーとして持ち前の人柄、高校時代のキャプテンの経験を活かして仕事がしやすい環境を作りつつ武平くんと一緒にレンタルチームを、運動会屋を引っ張ります。
長くなりましたが、ここまでお読み頂きましてありがとうございました。

少しでも運動会屋を、レンタル事業部を、僕についても知って頂ければ幸いです。